聖書の祈りが私の祈りになる

聖霊が私たちの祈りを助けて下さる。
-旧約編-


1,800円(税抜き) 並製338頁
ロバート・L・ブラント、ゼナス・J・ビケット著
吉原博克訳

推薦のことば

  1. 教職も信徒も読んで恵まれます。
    • 聖書全体を通して、ペンテコステ的な視点から包括的に祈りについて学ぶことができます。
  2. 旧約編では、信仰の先輩者たちの祈りを学べます。
    • アブラハムやモーセやダビデ、またヨシュアやギデオンなどの士師たち、
    • ヨシャパテなどの王たち、イザヤエレミヤなどの預言者たちの祈りの広さや深さを知ることができます。
    • 便利な聖句索引、主題別索引も付いています。
  3. 知識や情報を得るだけでなく、実際の祈りが強められていきます。
    • 聖書のことばそのものを着実に理解していくので、さらに祈りに導かれ祈りが深まります。




目 次

  • まえがき
  • 序文
  • 序論
  • Ⅰ 旧約聖書における祈り
  •   1章 族長とその時代の祈り
  •   2章 モーセの祈り
  •   3章 ヨシュアからサウルの時代
  •   4章 ダビデとその他詩篇の作者の祈り
  •   5章 ソロモンと後の時代の指導者の祈り
  •   6章 預言書の祈り
  • Ⅱ 新約聖書における祈り
  •   7章 キリストの生涯と働きにおける祈り
  •   8章 キリストが教えられた祈り
  •   9章 エルサレム教会の祈り
  •  10章 教会が拡大していく中での祈り
  •  11章 パウロの祈りⅠ
  •  12章 パウロの祈りⅡ
  •  13章 へブル書や公同書簡にある祈り
  • Ⅲ 現代に見られる祈りの実践
  •  14章 御使いの介入
  •  15章 祈りとリバイバル
  •  16章 祈りの訓練:実習
  •  17章 考慮すべき問題(by Stanley Horton)
  • 付録
  • 参考文献
  • 聖句一覧
  • 用語一覧

聖書の祈りが私の祈りになる

はじめに

 本書は、祈りというものの全体像を、おもに聖書的な観点から探ろうとするものです。本書の目指すところは、知的な理解を提供することだけでなく、祈る人々、そしてそれゆえ、神さまのためにこの世界を変えていくことのできる人々の群れを起こすという、さらに高い目的を達成することでもあります。これらの人々は、祈りの働きを活発かつ勤勉に追求したいと願い、そのことに非常に前向きな人々です。そのため、自らの歩みが豊かなものとなっていくとともに、キリストと教会のための奉仕にも大きな影響が生まれ、結果として、地の果てにまで信仰的な影響をもたらすような波が幾重にも生まれてくるところとなるのです。

 私たちはまた、次の二点を強調することで、ペンテコステ的な、特徴的な観点をお勧めしたいと思います。すなわち、(一)聖霊に満たされたクリスチャンはみな、救い主であり仲介者であるイエス・キリストを通して、まさに神さまの御座の間に近づけるという特権を用いさせていただくのだということ、(二)祈りは、内住の聖霊さまの助けによって、超自然的な領域における力となるのだということの二点です。かくして祈りは、儀式から出て現実の中へと移っていきます。そして、「御霊にあって祈る」ということが、聖書の中の文言という以上のものとなり、神さまのご介入をお導きする管となっていくのです。

 神さまとのコミュニケーションは、歴史的に記録されている人間の活動の中でも最も古いものに属します。それはアダムにとって、例えば、人が生まれたばかりの子どもの世話をするのと同じくらい、自然なことであったように思われます。神さまの明白な意図は、ご自分のかたちにお造りになった人々と、たえず生きた交流を持つというところにありました。神さまは、人々が自分勝手な道に進んでいくことを意図してはおられませんでした。神さまとの交わりはまさにへその緒であり、造られた者たちはこれを通じて生かされ、神さまとつながり続けていくところとなるはずだったのです。

 ところが、この交わりはほどなく、悪の餌食となってしまいました。アダムとエバは地上での旅路を、自分たちをお造りくださった方との聖なる、調和に満ちた交流のうちに始めたにもかかわらず、「そよ風の吹くころ」(創3・8)には既に、神さまとともに歩もうと願うよりも、隠れようとするようになってしまっていたように見えるからです。これはその後、長きにわたり、定番の型となりました。無知のゆえに、あるいは悪による有害な影響のために、人々は神さまの与えてくださっているものを利用できないままにきているのです。結果、祈りは、特権として提供されているとともに、命令もされているわけです。

 人々はなぜ、祈りの潜在的な力、冒険、他にほぼ比類の無いチャレンジを体験しようとしないのでしょうか。祈りに対する神さまの目的を理解していないのでしょうか。祈りの価値と益とが、奇妙にもわからなくなっているのでしょうか。あるいは単に、現在と未来に対する、祈りの強大で潜在的な力を、認識していないだけなのでしょうか。

 事実がどうあれ、本書では祈りの多くの側面を深く検討していきます。目的は、祈りの教えを明らかにしていくことであり、それを、あらゆるクリスチャンが従事している信仰上の戦いに適用していくことにあります。



 本書を読み進めていくに際しては、情報を得ることだけでなく、動機づけを得ていくことも求めてみてください。本書の原則を実践してみるには、全体を読み終えるまで待つ必要はありません。聖霊さまに日々、自らを明け渡し、委ねていってください。いつどのように祈るべきかについても、聖霊さまに語っていただくようにしてください。ささやかな感覚も大切にして立ち止まり、聖霊さまが心に示してくださることについて祈るようにしてみてください。聖霊さまが勧めてくださるがまま祈るのです。そうすれば、心を躍らせるような、ますます多くを知りたくなるような、そして克服すべき課題に満ちた冒険が目前に広がっていることに気づくことでしょう。この冒険に、祈り心と開かれた心で立ち向かっていっていただきたいと思います。



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訳者あとがき

 本書は、Robert L. Brandt and Zenas J. Bicket, The Spirit Helps Us Pray: A Biblical Theology of Prayer(Springfield, Missouri: Logion Press, 1999)、本文全432ページのうち、「序文」「まえがき」「はじめに」に加え、「第一部:旧約聖書における祈り」までの全180ページ、および関連する参考文献、聖句索引、主題別索引の全訳です。

 原題は『聖霊が私たちの祈りを助けてくださる:祈りの聖書神学』と直訳できます。著者のスタイルは、とりわけこの上巻の場合、旧約聖書の登場人物の記述に見られる祈りに注目し、詳細に分析、紹介するとともに、心の態度、具体的な行動を含め、私たちの信仰生活に適用できる原則を抽出するという形を取っています。原著では非常に文学的で格調高い語彙をきらびやかに散りばめながらも、読みやすい語りの文体でまとめられた本書は、その意味において厳密な神学とは呼べないものですが、原題の「聖書神学」を「包括的な聖書の教え」と広義に解釈するなら、その目的は十分に達せられていると言えるでしょう。また、目次にも略記の通り、下巻は、新約聖書における教えのみならず、日本では、両者を合わせて「カリスマ運動」と呼ばれることも多い、いわゆる第二・第三の波の時代を経ての広く現代的な諸問題や、御使いの現れなどを含む、神さまの超自然的なお働きについても考察が展開されたものとなっており、続く出版が待たれるところです。

 巻末の著者紹介にもあるように、ロバート・ブラント師は、米アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以後、米AG教団)の牧師として、所属教区や地域の聖書学校、全国レベルでの役職を歴任してこられた方であり、本書における牧会的な立場からのアプローチを可能にしておられます。

 一方、ゼナス・ビケット師は、一般の大学にて教育学士、米AG教団立の神学大学にて神学士を取得の後、アーカンソー大学で修士号、一九六五年に博士号(英文学)を取得しておられます(博士論文は「トーマス・トラハーン“Centuries of Meditation”における比喩の一研究」)。トラハーンは、十七世紀、英国国教会の聖職者、神学者、詩人であり、“Centuries of Meditation”は、トラハーンによる信仰生活、聖職者としての奉仕、人生や哲学についての随想録となっています。そこに見られる比喩の研究ということから、文学での博士論文ながら、聖書、組織神学、歴史神学、教会史、文化などにまたがる幅広い教養を前提とされる研究をなさり、その後、いずれも米AG教団立のベレアン大学(後のICI(国際聖書学院)、現・グローバル大学)、エバンジェル大学の学監を歴任、中央聖書大学(ともにミズーリ州スプリングフィールド)でも教鞭を執られました。



 このような背景をお持ちの両者とも、さらには米AG教団内にて、信徒向け、教職者向けに、教えの文章や神学論文を数多く執筆しておられ、本書はいわば、二人の持ち味が見事に調和、昇華された、執筆活動の金字塔とも呼べるものとなっています。また、本書の監修は、米AG教団を代表する組織神学者の一人であるスタンレー・M・ホートン師(『聖書が教えるすばらしい聖霊の働き』(菊山和夫訳、福音出版社)などの訳書もあり)が務めておられます。

 訳者にとって本書との出会いは、留学先のアジア太平洋神学校(APTS:エーピーティーエス。フィリピン共和国バギオ市)にて、二〇〇〇-〇一年度第三学期に開講された祈りについての選択科目で、教科書として指定されたことがきっかけでした。タイ人女性教師のシラポーン・カム博士による同科目は、祈りのパートナーを組んでの定期的な祈りや、小グループに分かれてのプレア・ウォーク(祈りの歩行)、キャンパス内の寮や宣教師館を訪問してのとりなしの祈りなどの活動を含むものでもあり、英語での祈りにまだ不慣れだった訳者にとっては、教科書や講義における知識のみならず、実践的な良い訓練となったことを思い出します。以後、ペンテコステ派の立場からのこのような体系的な祈りのテキストを翻訳出版したいと願ってきたのですが、このたび、ほかならぬ、所属の日本AG教団より出版の運びとなったことは大きな喜びです。

 本文の訳出に際しては、幅広い読者の方々の読みやすさを考え、敬体による、できる限り優しい文体を心がけました。日本語訳聖書には『聖書:新改訳』(日本聖書刊行会)を用い、本文中の聖書箇所については同訳における正式な書名(例、出エジプト記五章一節)を、引用等の括弧内においては同訳における略号(例、出5・1)を用いています。なお、聖書の引用箇所には、著者による省略も多く見られますが、英語訳と日本語訳の違いから省略後の文章が不自然なものになっている場合も、そのままにしています。また、参考文献の引用箇所については、学術的文書の特徴として、また、地の文と区別するためにも、少し堅めの常体によって訳出しています。

 巻末には原著に従い、聖句索引と主題別索引も添えています。主題別索引は、原著をそのまま翻訳してしまうと日本語の語感として不自然なものもあり、また、この索引そのものが、一部、具体的に当該ページのどの箇所を指しているのかが不明な部分や、項目的に首尾一貫しない部分も見られるのですが、全項目を本文と参照した上で、修正できる点は修正し、不明な部分はそのまま置いています。指定されたページ番号も、大まかなものに過ぎない場合が多いことから、可能な限りの修正は加えてみましたが、読者におかれましても、索引で指定されているページにつきましては、その前後を含めて注意深くお読みいただけましたら幸いです。

 優れた出版社には索引作りの専門家がいると言われるほど、索引作成というのは細かい目配りと高い技術を要求される領域だと聞いています。今後、電子出版が進めば、読者が自由に、好きな語句を本文全体で検索するということも容易になっていきますが、紙による従来の出版形態にはこのような困難もつきまといます。しかし、索引を頼りに、そこからさらに深く本文を読み込んでいくという作業も、紙媒体の書籍ならではの味わい方の一つなのかもしれません。





 本書の翻訳出版に際しては、日本AG教団の理事会や企画室を中心とした多くの先生方、地引網出版の谷口和一郎社長以下の皆様に大変お世話になりました。翻訳作業が大幅に遅れてしまったことで、大きなご迷惑をおかけしてしまいました。本当にありがとうございました。

 「祈りはクリスチャンにとっての呼吸である」とはよく言われるところです。本書と下巻が広く読まれ、また、教会などの小グループでの学びにおいても用いられることによって、皆様の「呼吸」がさらに豊かなものとなり、深く力強い命を育てるものとなっていけるよう、心よりお祈り申し上げます。本書が、東京を離れ、東日本大震災の被災地でもある仙台で開催される日本AG教団の全国聖会に合わせて出版されるというのも、日本人クリスチャンとしての今後の霊性を考え、養っていくうえで、さらに一つ、大きな意味があるのかもしれません。

訳者
2015年、ペンテコステの北ルソンにて